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2005年にはパチンコ業界初の売上高1兆円の達成、そして2兆円も視野に入り、御社の成長はとどまるところを知らない勢いですね。

多くの従業員の努力、そして多くのお客様、関連業者様に支えられ、ここまでくることができました。2兆円も、そして3兆円も視野に入ってきたと感じています。

成長の要因は何でしょうか?

「人のマルハン」を掲げ、「パチンコはサービス業である」「パチンコ業界を変える」という想いをとにかく追求し続けてきたことにあると思います。

素晴らしい想いを掲げ、それに取り組んでいる企業は世の中にも多々あるように思いますが、全てがマルハンのようにはいきません。その差は何にあると思われますか?

想いの実現にこだわり、「とにかく徹底的に挑戦し続けるかどうか」にあると思います。最後の一線を越えるにあたり、実現するまで「継続」できるかどうかが勝者と敗者を分けるのです。

今のような経営環境になるとなおさら、「想いはあるが、背に腹は変えられない」として、「利益」や「人員削減」などを優先してしまう企業は多いですよね。

「経営理念」や「企業姿勢」でも表現していますが、「社会貢献」抜きに持続的な企業成長は語れないと考えています。

私は、利益には「経済的利益」と「社会的利益」の2つがあると考えています。

もちろん経済的利益がなければ社会的利益を追求し続けることができないわけですが、パチンコ業界に限らず、「経済的利益だけ」を追求すれば、社会や従業員にとって魅力的な会社とはならないと思います。また、昨今に見られる企業の不祥事にもつながりかねません。

会社の経営活動そのものが社会の豊かさにつながっているかどうか、私たちであれば「人々に生きる喜びと安らぎの場」「心身のリフレッシュと明日への仕事の糧」につながっているかどうかをマルハンではとにかく大切にしています。そうでなければマルハンがマルハンでなくなってしまうからです。

パチンコ業界はここ数年市場規模全体が減少気味だと思いますが、例えば、御社のある店舗が「予算未達成」に陥ったとき、つまり経済的利益面で問題が発生したとき、どのような判断が現場でなされるのでしょうか?

まずは人材の立てなおしです。

人材の立てなおし…。

とかくこの業界では、新台入替などのイベント・手法に関心が集中しがちですが、「パチンコはサービス業」なのですから、なにをさておいても「人」です。

「パチンコ業界を変える」というビジョンをホールスタッフ間で共感しあえているか、「判断基準はお客様」「マルハンファンの創造」「ベストの追求 ~感動創造」、そして「プラスのストローク」といった行動指針が徹底されているのかどうか…ここが乱れていれば、イベント・手法を企画・実施しても意味がありません。せいぜい瞬間的な売上に貢献する程度でしょう。

経済的利益と社会的利益をつなぐ「人」が私たちの原点です。


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マルハンはパチンコ業界では成功例の一つとしてご評価頂けるようになってきました。しかし、いつも言われることがあります。「マルハンは特別だ」「売上1兆円はマルハンだからできたことだ」と…。

マルハンだって最初は田舎の1店舗からのスタートです。
そのような人たちや従業員、そして学生に対していつも私が語っていることがあります。それが「夢理論」です。

夢理論…?

そうです、夢理論です。

私は、新卒の学生や従業員に対して「今からの社会人生活40年を使って何を目指すのか?」とよく問いかけます。

人間が初めて空を飛んだのは1903年。ほんの106年前のことです。ライト兄弟が「空を飛びたい」という夢を描き、それに向かって努力した結果です。当然周囲には「そんなことはできるはずがない」といった声があったでしょう。

同じように、無から有を生み出し、『世界レベル』と言われる企業の多くは、ほんの数十年前に創業した企業がほとんどです。

40年あれば、今はこの世にない商品やサービス、そして業界をつくりだすことだって十分可能です。それは歴史が証明しています。

想いがあるからこそ、そこから手法が生まれ、活かされるのですね。

マルハンの歴史は「チャレンジの歴史」であると思っています。その一つが、1995年にオープンした「マルハンパチンコタワー渋谷(MPT渋谷)」です。この店舗は、マルハンにとっての関東進出第1号店ですが、1000台を超える設置台数や、2~6階に分かれた多階層構造、そして台あたりの坪数の広さなど、当時のパチンコ業界の常識では考えられないものでした。出店に投入された資金は総額50億円。「経営効率」中心の考え方からは到底生まれない発想であり、手法でしょう。

もちろん、重圧は相当なものがありました。しかし、「パチンコはサービス業であり」「パチンコ業界を変えたかった」のです。そういう夢があったからこそチャレンジができ、そして手法が生まれたのだと思います。

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韓社長がマルハンに入社されたのが1990年、そして売上高が過去最高を更新し続けていた1991年に、以後2年9ヶ月間新規出店をストップし、人材育成に資源を集中させていったわけですが、韓社長の夢・想いを語り、問い、従業員たちを巻き込んでいった時期だったのでしょうか。

入社当初はそのように考えていました。

当時のパチンコ業界は、ボストンバッグ一つを担いで店舗から店舗へと多くの従業員が渡り歩き、「釘師(くぎし)」と呼ばれる人たちが店長として店舗をまとめていた時代です。

「客になめられたらあかん」「客が悪さをしないようにホールスタッフは目を光らせとけ」…サービス業、顧客満足なんていう価値観なんて微塵もありませんでした。

当時のマルハンは、35店舗、従業員数800人超、そして売上高も1000億円を超える規模になっていました。夢理論のように、「できない」ではなく「したい」という想いを共有し、みんなで向かっていく…そんな決意で真正面からぶつかっていきましたが、当時の多くの従業員の共感を得ることは出来ませんでした。「パチンコはサービス業だ!」「パチンコ業界を変えよう!」と語ろうが、問いかけようが何も返ってこない。「社長の息子がなんか言うとるで」…こんな感じです。一人では難しかったのでしょう。

それでも夢を追いかけた…?

もちろん。夢を追いかけなくなったら人生は終わりですから(笑)。

共感してくれる仲間をつくっていこう、そして仲間を増やして、それが臨界値を超えればマルハンは変わるはずだ…「ある島のサルが芋を海水で洗って食べるようになると、2匹目、3匹目と続き、それが100匹を超えた瞬間、その習慣が島全体のサルに伝播した」…「100匹目のサル」を目指して仲間づくりとモデル店舗づくりをスタートしました。

と言っても簡単に人が見つかるわけではありませんでした。夢に共感し、パチンコに人生をかけようという仲間を探すわけですから…。大学時代の野球部員に相談したり、当時勤めていた銀行を辞めてマルハンに入社してきた実弟の人脈をたどりながら、夢に共感してくれる仲間を探しました。そして何とか4人に入社してもらうことができました。家族や親戚縁者からの猛反対や偏見を押し切ってマルハンに来てくれた仲間です。パチンコは素人ですが、「パチンコ業界を変える」という一つの想いで強くつながった仲間です。私にはこれが大事だった。

そして、サービスマナーモデル店「マルハン草薙アピア店」がスタートしたのですね。

そうです。さらに、当時社歴1年生の中から一人を仲間として迎え入れ5人、そしてパチンコ未経験の女性アルバイトスタッフ達と一緒にモデル店づくりをスタートしました。1992年4月15日のことです。

しかし、オープン初日は散々でした。いきなり玉詰まりのトラブルが続発し、お客様からの怒号やパチンコ台のガラスが割れる音が飛び交うわ、アルバイト女性は泣き出すわで、結局開店1時間で閉店しました。
閉店後、ミーティングをしましたが、まるでお通夜のようでした。そんな中、あるスタッフがこう言ったのです。「お客様から、『挨拶する暇があったら玉を出せ!』と言われた。私たちがここでしようとしていることは、お客様が求めていることなのでしょうか」…と。
「そんなことで俺たちの想いが揺らいでどうする!」…私はつい、と語気を荒げていました。

その後、3ヵ月後には同店が静岡地区でトップレベルの業績をあげる店舗になるにつれて、少しずつ変化が起きはじめました。サービスマナーを大切にしようとする店長やスタッフたちが生まれ始める一方で、想いを共有できない店長やスタッフたちが相次いで辞めていきました。

定期新卒採用で仲間を増やし始めたのもその頃でしょうか?

マルハン草薙アピア店をスタートする直前の1992年3月に新卒採用活動を開始しました。しかし、当時パチンコ業界では新卒採用活動なんてほとんどなされてはいませんでした。せいぜい、スポーツ新聞に求人広告を出す程度です。

そのような時代に、マルハンでは、求人誌に求人広告を載せたり、大学を回ったり、合同企業説明会にブース出展をしていきました。いろいろな施策・秘策を講じてようやく学生を集められましたが、当時のマルハンには見せられるものが何もなかったのですよね。

「パチンコはサービス業だ」「業界を変えたい!」と熱く語っていたとは言え、当時のマルハンは店舗も店長も昔ながらでしたし。
「店舗を見せて欲しい」と学生に言われても「見ない方がいいよ」、「店長に会って話を聞きたい」と言われても「会わないほうがいいよ」と受け流しつつ(笑)、とにかく熱い想い、それしか私たちはもっていなかった。私をはじめ、マルハン草薙アピア店配属の5人で入れ替わり立ち代わり、その想いを学生にぶつけていきました。

その想いに共感してくれた学生19人が新卒1期生として1993年に入社してくれました。
以降は「共感型採用」を重視し、会社説明会でも面接でも内定者フォローでも私自身が直接学生に語り、問いかけ、仲間を増やしていきました。その仲間が各地の店舗で想いの伝播に貢献してくれたのです。

少し話題がそれますが、良い習慣が伝播した時の話をしたいと思います。
1995年に阪神・淡路大震災が発生しました。
ご存知の通り、被災地は大変な状況になりました。
実は、マルハンは被災地においても翌日には通常通り店舗を開けたのです。

翌日からですか…。

「街中が大変な時に店舗を開けるのか…」「どこまで金儲け主義なのか…」と感じた人もいたでしょう。しかし実は、現場では、「いつも来てくれてるおばあちゃんが今日も来るかも知れんやろ」と言って動いてくれていたのです。

もちろん結婚していた社員はご家族のサポートのために休ませましたし、本社としても炊き出しや飲料水などの救援活動を行いましたが、経営理念に掲げている「社業を通じ、人々に生きる喜びと安らぎの場を提供し」が、ギリギリの状態の中で現場で判断され、実行されたことに私は誇りを感じるのです。

マルハン草薙アピア店での良い習慣が、他の店舗に伝播し、マルハンが変わり始めたのです。

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